2014.08.19 Tue 11:23

庚申塔  その1  歴史の中を駆け巡る


私のサイクリングコースで一番気に入っているのは

秋田市の上北手、大戸地区、大杉沢地区、小山田地区を

駆け巡る40分コースです。

この三地区には四ヶ所、庚申(こうしん)塔が祀られています。

石碑1
一番目の答申塔

石碑2
二番目の庚申塔

石碑3
三番目の庚申塔

せきひ4
四番目の庚申塔


庚申、庚申信仰をネットで検索すれば簡素なものから

論文クラスのものまで多数ヒットします、又、微妙に違いも

あります、私が読んで解りやすかったものを参考まで

http://homepage2.nifty.com/koba843/kaisetsu/kaise1.htm

http://homepage2.nifty.com/touyuu/eto/saru2.htm
(すみませんドラック、右クリックか、コピー貼り付けで見てください)

庚申(かのえさる)は干支の組み合わせの一つで

60日毎に巡ってきます。実は生まれながらにして

人間の体内には三匹の虫(さんしちゅう)がいるらしい

庚申の夜には、人々が眠っている間に、体内から抜け出た

三匹の虫が天に昇り、その人の犯した罪を天帝に告げる、

その報告を聞いた天帝は、罪の軽重に応じ寿命を縮め、

時には命をも奪うとされていた、その為、人々は庚申の夜は

供えものし、その夜は酒盛りなどしながら、無病息災を願い

眠らないで過ごしたと言われている。


文献だけでなく事実を知りたくて、地元の人に話を聞いてみた。

第一村人発見(失礼、秋田市民です)

その方曰く、庚申(こうしん かのえさる)の年は(三猿の日)

「見ざる、言わざる、聞かざる」つまり告げ口をしない日と

教え伝えられたそうです。三匹の虫の情報元を絶ち対抗する

三猿の考えは、調べてみると、他の地域にもあるようです。



第二村人も懐かしそうに話してくれました、すこし前まで庚申の日

(60日に1日)は講中(仲間)が集まり酒盛りをしたそうです。

地域によって多少の違いはあるようですが、庚申信仰は生きて

いました。


古い石碑には庚申の二文字しか彫られていませんが最近の石碑には

七庚申と彫られています。

庚申は60日周期ですが、旧暦では1年が平年の353日から閏年の

385日まであったので、庚申の日が年に5日のときや7日のときが

あり、それぞれ五庚申の年、七庚申の年と呼ばれ、一般的には

五庚申の年は不作、七庚申の年は豊作とされ、七庚申の年に庚申塔を

建てたようです。ただ七庚申も不作と考える地方もあったようで

宮沢賢治の庚申詩碑には

歳に七度はた五つ
庚の申を重ぬれば
稔らぬ秋を恐(かしこ)みて
家長ら塚を理(おさ)めにき

とあります。

さて上北手の塔には四カ所のうち三カ所に平成12年(2000年)に

建てられた七庚申の塔があります。

石碑1-3
一番目

石碑2-2
二番目

石碑3-2
三番目(2000年、平成12年)


色々調べた結果2000年は旧暦で七庚申の年であることが

分かりました。歴史は脈々と伝えられている事になります。

年表


そして、さらに、上北手の庚申塚を調べているうちに私は驚愕

の事実を知ることになりました。

その2で紹介します。本当に驚きました・・・・

日本の歴史が変わります。



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